昭和47年1月8日 朝の御理解      (末永信太郎)

御理解第4節
 此方金光大神あって、天地金乃神のおかげを受けられるようになった。此方金光大神あって、神は世に出たのである。神様も氏子からも両方からの恩人は、此方金光大神である。金光大神の言うことにそむかぬよう、よく守って信心せよ。まさかの折りには、天地金乃神と言うにおよばぬ。金光大神、助けてくれと言えば、おかげを授けてやる。



 このくらいに、神様から信用を受けておられた金光大神、ということ。これほどに、天地金乃神様から御信任を厚う受けておられた。しかも、天地金乃神、いわゆる天地の親神様の恩人ですらある、と。これ以上に称えられる言葉ってないでしょうね。神様から、此方金光大神あって、神が世に出たのである。ね。
 いかに教祖金光大神という方が、神様の心を心として受けて受け抜いておられた御信心であったかというようなことが伺われます。氏子からも神からも、両方からの恩人は此方金光大神。そこで、御取次を願う私ども。ね、御取次を願う、そしておかげを受けられる。天地金乃神のおかげを受けられるようになったのも、言うてみれば金光大神のおかげである。
 私ども氏子からも天地の親神様からも両方からの恩人と称えられ、御信任を受けておられる金光大神。まさかの時には、天地金乃神と言うにおよばぬ、金光大神助けてくれと言えばおかげを授けてやると教えておられます。だから、ここでは金光大神即天地金乃神ということが言えますね。
 「金光様」と私どもが絶えず心の中に念じております。金光様、口を開けば金光様、心に思うておることも金光様。それこそ、寝ても覚めても金光様。ということは、ね、そのまま天地金乃神を念じておることと同じことなんです。そこで、その金光大神の教えられたことを背かぬように、よく守って信心せよと、こう仰られる。その教祖金光大神の教えられたことを、そのままに、いわば二代金光様。
 ね、四神金光様がお受けになられて、ひた受けにそのことを二代の生神としてのお働きを現して下さった。ね。その二代の生神、四神(貫之君?)と申し上げます。ね。四神(貫之君)。それを私どもは、生神四神(貫之君)とこう申し上げておる。その生神四神(貫之君)の神様が二代を継がれた時に、九州に道が開けて来た。小倉の初代桂松平先生は、ね、四神金光様の御取次を頂いて、おかげを受けられた。
 ない命を授けられた。どうにも出けなかったはずの道が開けて来た。いわゆる、四神様に低頭される。いわゆる四神様を生神様として頂かれるそもそものところが、四神様の御神徳によって御取次を頂かれて、その御取次の働きが九州に道が開けるということになった。
 そこで桂先生は、四神様、ね、九州の大恩人と四神様を称えられることになった。12月の10日に御本部で奉仕されます報徳祭。当時は、四神様のお祭りと申し上げておった。その四神様の御大祭、お祭りが、九州の桂先生の願いによって、あのお祭りが出けるようになって、現在の報徳祭になっております。ね。
 以前、もうずいぶん前の話ですけれども、金光教のお家騒動と言われていたような事件が起きたことがありました。本部の中に、亡くなられました三代金光様の、私どもが生神と仰がせてもらう三代金光教が副(かんちょう)をなさってた。その上に、(かんちょう)という方がおられましてね。その(かんちょう)の、まあ、言うならば(かんちょう)派と三代金光様側。金光様は、別にそれに(たえさえる?)訳でも何でもないのですけれども、そういう時代があって、もう大変な問題が起こりましたですね。
 もう、その当時の方達なんか、もうそれこそ命がけで、そのことに当たられた。もう、金光教がこれで潰れるかと言われるような事件でございました。まあ、いろいろ世間ではそのことを取り沙汰致しましてね、今にこの金光教を悪口言う時には、あの時分のことを引き出されるといったような事があった。
 ただ、三代金光様はそのこととは別に、ただただ、御結界奉仕に専念されただけであった。何もその、それを問題となさらなかった訳でもありますまいけれども、ただひたすらに、御取次の御用に専念されただけであった。おかげで、いわゆる三代金光様を教主と申し上げる。
 そして、その事件が落着ということになった。その当時の話です、本部の方から九州に、本部の偉い先生がお見えられましてね、九州の者は、ね、生神金光大神天地金乃神と言うて願うだけではなくて、ね、いわゆる金光四神(貫之君)と。四神金光様を唱える、もう四神金光様を唱えることは出けない。もう、教祖金光大神一本にせよ、というような使いを九州の小倉の御広前に、まあ、当時はもう、桂先生はこの世にはおられなかった。いわゆる、二代の桂先生、いわゆる奥様のご時代であった。
 それも大変な、その、威圧と一つの意向を持って、そのことを実行させようという使えの方が見えられたんです。ね、その時に桂先生が、いわゆる、二代の桂先生が本部の先生に仰っておられること。〇〇先生、ここをどこと思うてお見えられましたかと仰ったんです。
 ここは、桂松平の御広前でございますと仰った。ね。桂松平があり、九州に道があるのは、二代金光様四神様の御神徳、おかげによって九州に道が開けました。言うなれば、九州の大恩人である四神様の御名を唱えることが出けないということは、よし、なら、御広前が取り潰しにあいましても、そういうことは受けつけられん、受けられんと仰ったそうです。
 ここをどこと心得てみえましたか、桂松平の御広前ですと言うて、まあ、言うなら負い返されたという話が残っております。ですから、桂先生にとっては、もう、四神金光様が、もうそのまま生神様であったわけですね。二代金光様のおかげで、言うならば九州に道が開けるようになった。
 桂松平が七宗放棄を誓われたのも、四神金光様であった。ね。こと信心のことにいたって、前には進んでも後ろには引きませんと仰るような不退転の信心とでも申しましょうか。そういう信心は、いわゆる、四神金光様の御信心を頂かれてからのことであった、と。
 だから、桂先生にとっては、二代金光様がそれであったということになりますね。いわゆる、金光大神四神様あった、九州に道が開けた、と。四神様あって、おかげが受けられるようになった、ということになったわけです。だから、教祖生神金光大神即四神様、二代金光様ということが言えるわけですね。ですから、九州の者は、もう「金光様」と申し上げるよりも、「四神様」、昔の信者は皆そうでした。
 「四神様、四神様」、金光様の御名が四神様と申し上げるかと思うくらいに、四神様、四神金光様を唱えたものです。ね。その四神金光様が、それこそ命がけの御取次をなさって十年間。その跡をひた受けにお受け抜かれて70年間。もう、それこそ、まあ、人間業とは思われないほどしの御神勤を持って、私どもに御取次を下さったのが三代金光様である。御年わずか13歳。
 四神様が亡くなられてから、その跡をお受けになられた。ね。そして、70年間という長い間を御取次一筋に。達磨さんが7年間、壁に向かって座ったということが言われておりますよね。三代金光様は70年間ですからね。もう、それこそ70年間を一日のごとくお勤め(抜き?)になられた。その間には、只今申しますように金光教の御家騒動と言われるような問題もあった。御広前が御炎上になるといったようなこともあった。ね。もう、それこそ、大変な中に大東亜戦争があったりいたしました中にです、もうただ、一途に世界総氏子の身上安全を祈り願われ続けられたのが金光様。
 その三代金光様の時代に開けたのが、合楽であります。私がだんだん、御商売の方が(不審?不振?)になり、もう、それこそ置いた物を取るほどしのおかげを頂いておった。もう、神様の働きに恐れ入ってしまう、もう、恐れ入った信心が段々出けるようになって来た。その頃から、右に願うと左、左に願うと右というようなことになって来た。親先生も、もう、ほとほとと、まあ、どうした訳だろうかと私のことを心配して下さるようになった。
 大坪聡一郎は、とにかく、大坪聡一郎の願い通りに、ね、いわゆる商人としてのお特を受けさせ、立派な商売人にお取り立てを頂いてお道の御用にでも尽くせるほどしの氏子に取り立てて頂きたいという願いが、荒巻先生の願いであった。また、私の願いでもあった。ね。
 ところが、実際はその反対のこと、反対のことになって行く。そこで、その当時、毎月親先生のお供をして御本部月参りをさせて頂いておりましたからね。ある御月参りの時に、私の一身上のことについて、三代金光様に御神意を伺うようなことがあった。そしたら、もう、それこそもう、青天霹靂と言うでしょうかね。もう、思いもかけないことを金光様が仰られた。
 「お道の教師になられたら結構です」と仰った。もう、それこそ、もう本当に私の信心が相当熱心になった参りますと、みんながそう言ってました。信心が熱心になり、熱烈になればなるほど、もう、貴方は金光様の(  )先生になられるだろう、と。
 まあ、来年な御本部行きでしょう、といったような挨拶を受けるほどしになったけれども、まあ、そのことなんか、さらさら私は思わなかったです。もう、徹頭徹尾、商人としてのお取り立てを願っておりましたから。そして、とても金光様の先生なんて、私どもじゃ出来るて夢にも思いませんでしたしね。
 そしたら、お道の教師になったらけっこうです、とこう仰った。まあ、それこそ、もうビックリ仰天でしたですね。段々おかげを頂いて参りますうちに、商売の方は(よう?)不振になりましたけれども、神様から直接御知らせを頂くようになり、もう、私の周囲に、私の話を聞きたいと集まって来る人達がたくさん出けるようになり、ね、よんどころなしに御取次の座とまではなかったけれども、御取次させてもらわなければならないことに段々なって来た。ね。そして、以前の椛目のお広前が出来た。
 そして、あそこで二十年近くも、教師にもなれず、または、教会設立も認められず。ね、十何年間を椛目に過ごしたわけですけれども、その時にです、私の周囲に例えば百人の信者がおるなら、五十人はです、もう、わざわざ御本部と仰らんでもいいじゃないですか、と。これは特に、竹内先生なんかはそうでしたですね。わざわざ金光教と言うていけんなら、金光教と言わんでもいいじゃないですか、と。
 当時は神愛会という一つの宗教団体でしたから、もう、神愛会で良いじゃないですか、と。神愛会の会長、言うならば神愛会のいわば教祖として親先生が立って下さりゃそれでいいて。私どもは、もう何々会とか、何々教とかという、ただ椛目があるというだけで、それでいいのだ、と。
 わざわざ本部に、金光教の教会にならせて下さいなんて、その、言わなくてもいいじゃないですかという働きと、いや、それでもやはり、ね、例え私どもは一年間辛抱致しますから、本部へ行って教師の資格を取って来て下さいとい説が二つになった。その時分に、何回も何回も、それこそ会議から会議でした。
 幹部の方達が集まって、どうするかということ。もう大変な、いわゆる椛目にとって当時の大問題でした時に、あの、正義さんがこういうことを会議の後に、親先生、とにかく御本部に行って下さい、と。
 親先生は体がお弱いですから、私は自分の仕事を投げ打ってから、先生にお供をして御本部に参りますから、御本部に行って下さいというような、まあ、熱烈なね、その、いわば教会になることを願いとする人達も、やっぱそのあった訳です。久保山の奥さん達でもそうでした。もし、私が本部へやらせて頂いて、教職を取ってきて、それでお役に立つなら、私は本当に今年からでも御本部に上って教職を取って来ると、親先生の変わりに。というようなお届けもあったことがありました。
 もう、その時分の御信者さん方の教会設立ていうことには大変な願いを持った。ね。先日、五年祭を仕えました久保山先生なんかは、もう、そのことに終始しておられたと言うてもいいくらいでした。本部の方には、もう何回となしに、(屋陳情?)に参られましたね。
 けれども、その、実際は教会になされんということはないのだけれども、それが椛目である、神愛会であるために教会へなされんち言って、本部の方で(教職?)のこと言ってました。これが他のとこなら、すぐ教会になれるけれどもね、合楽だから、いわゆる椛目だから、大坪さんだからなされんのですよというようなことでした。いかにその時分に、教団の中に合楽、その当時の神愛会が焦点になっておったかということが分かりますですね。いわば、まあ、言うちゃなんですけれど、勢いに恐れたといったような感じがあったですね。だから、なれんのですよと、はっきり教務所辺りで言っておられましたんですよ。ね。
 それが、いわゆる三代金光様の例えばお言葉がもしなかったらね、今ごろは金光教じゃなかったかも知れません。ね。そりゃ金光教じゃなくて、まあ、銀行教になっとったかも知れん。(笑)いや、本当です。そういう意向があったんですから。いわゆる、新しい、言うならば宗教が椛目の地に発祥しとったかも知れません。けれどもね、十何年前に三代金光様がです、道の教師としておかげを受けられたら結構と仰っておられた、その言葉がね、私の心の中にこびり付いとったです。
 あれは、椛目が出けて7~8年にもなってからだったでしょうか。あの、初めてあの、おばあちゃま達がおりました部屋が出けた時でした、二階に。私はあの部屋に休んでおりましたが、ある時に、その、御神夢を頂いておる。私はあそこで休ませて頂いて、もう、その声をあげて私がわんわん泣いとるもんですから、こちらの隣におりました両親達、母が参りまして、あの、「先生、どうしたつか、どうしたつか」と言うて起こされて目が覚めた。夢の中でわんわん声あげて泣きよった。
 それが、どういうことかと言うとですね、三代金光様が御結界、あちらへこう、お座りになっておられる。私が、まあ、あの、佐田のおられる所よりかもちょっと後ろぐらいなところに、御本部のお広前で御祈念をしておるわけです。そんで、金光様はあそこへお座りになっておられる。私は、あそこで御祈念をさせて
おったら、三代金光様がスッとお立ちになってね、あらっ、お立ちになったが御祈念でもなさるんだろうかと思うたら、今度、御神前の方ではなくて、ずうっとお広間の方へ下りて見えられた。
 そして今、あそこの原昌一郎さん、(ひよしさん)がおるところに行き座られたです、あの辺に。ね。そして、私の方へ向かってジーッとこう向きを返られてね、もう、深々とこうやって頭を下げられるんですよ。もう、それが勿体無うして勿体無うしてたまらんもんじゃから、「勿体無い、勿体無い」ちゅうて、わんわん声あげて泣きよるとこじゃった。ね。
 こちらということは、まだ、教師、信者ということであろうと思うです。ね。まあ、それを言葉になして、金光様のお言葉をもし私がお心持ちを言うならばです、大坪さん、今しばらく辛抱して下さいよ、と。まだ信者のままでいいです、人が助かっとればそれでいいです。ね。必ず、教師にも教会にもなります、その時期を待って下さい。その時期を待って下さい、いわゆる新興宗教でも起ころうかといったような雰囲気なのです。しばらく待って下さい。信者のままで待って下さい。必ず、道の教師にも、教会にもなれることでしょうから、というようなご内容であったと思うのです。お言葉は何もない、ただ、深々と私に頭を、私、手をついて、いわば頼まれるという感じ。
 世の中に難儀な氏子が取次助けられるということのために、三代金光様は私に手をついて願っておられる。ね。そういうようなこともありましてね、いよいよ私の心は、いや、もう絶対、放っておいても教会になれるんだ、放っておいても教師の資格は頂けるんだ。そしてやはり、金光教〇〇教会という、まあ、現在でここに合楽は、まだ夢にも思ってない時でしたけれども、まあ、言うならば合楽教会の設立ということはです、もう、神ながらに神定められてあるものであると確信するようになりました。
 そして、なら、ここの合楽教会ということがです、金光教の信心の、まあ、中身であると言われるくらいに、いわゆる、あいよかけよで、神と氏子とが共に助かって行くという、これがお道の信心なんです。人間が助かるというだけじゃなくて、ね、ここにも仰るように、ね、金光大神のおかげで神がこの世に出たとか助かったと仰っておられるように、ね、いわゆる、合楽である。
 もう、これがいかにね、神ながらな神定めの地であったかというようなことを、その後色々な事態の場合にそれを感じます。ここという所は大変な所なんだ、合楽というところは。神様と氏子とが一緒に助かり合うて行けれる。一緒に極楽の境地が、ね、有り難い、勿体無いという信心が出けれる、ここは聖地だと私は思うております、合楽は。ね。
 そこに、なら、私を初代教会長として、なら、ここに合楽教会が設立された。そこで、どういうことになりますでしょうかね。金光大神が私どもの恩人であるようにです、ね、二代金光様が桂先生のためには御恩人でお在りになられたようにです、大恩人でお在りになられたようにです、ね、私、合楽教会というか、大坪聡一郎というか、にとっては、三代金光様あって、今日の私があると言えるわけです。ね。
 だから、三代金光大神様の仰せられることに背かぬよう、信心をして行けば、ね、いわゆる、それで助かることが出けるということに、もう、天地と金光大神とが一貫したものが、こうやってあるわけなんです。ね。そこでです、なら、大坪聡一郎、初代大坪聡一郎がある時に、皆さんは御神縁を頂かれたということになる訳です。親先生おかげで、と皆さんが言われるでしょう。
 そこで、んなら、ここでは「金光様」と申し上げるよりも、「親先生」と言うたがおかげは早いと言われるのは、そういう訳なんです。もう、親先生即三代金光様、二代金光様、金光様、天地金乃神様ともう一貫した同じものなんです。ただ、名称が違うだけなんだ。ね。
 だから、金光教の信心のいわゆる親先生と、こう、取次を願う。そこに、信じ信じられる仲というものが、信者と氏子の仲にですね、信者と教師取次者の仲に交流するようになったら、もう、それは生神金光大神と同じです。ね。先生はあげなこと言いなさるばってん、というような間は、まだまだですわね。けれども、親先生の仰る通りにさえしとればね、おかげが受けられると確信づけられるようになったら、もう、親先生はそのまま金光大神と同じ、いや、天地金乃神と同じなんです。
 そういう働きが、ね、御取次のいわば作用と言われたり、御取次の働きと言われるのは、そういうことなんだ。だから、そこまで取り次ぐ者、取り次がれる者というものは高められなければならないということが分かりますね。三代金光様が私に下さってある御教えの中にです、ね、「氏子が神様任せなら、神様が氏子任せになると仰せられますから」と仰っとる。
 さあ、そこから、私の信心はもう、一時が万事に御神意の通り、神様任せ、それは人が笑うても、謗られても悪口を言われても、神様の仰せには背かれんというのが、私の信心信条であった。ね。いわゆる三代金光様、金光様の仰ることに背かぬようということになって来たわけです。ね。そこで、私はいよいよおかげを受けられることになって来た。金光大神の言うことに背かぬよう、よく守って信心せよが、(やお?)実際において出けて来たわけなのである。ね。
 そこでです、なら、ここではね、なら親先生が言うことを背かぬように、よく守って信心せよ。まさかの折りには金光大神、天地金乃神と言うにおよばぬ、親先生助けてくれと言えば助けてやるということになるのじゃないでしょうかね。また事実、合楽ではそういうおかげを皆さんが受けておられるわけなんです。
 ね、ですから、親先生と私、皆さんと言う場合は、そういう間柄というものがいよいよ深く、信じ信じ合える仲というものを作って行かなければいけないかということが分かります。人間です、生身を持っとりますから、どんなところでもあります、これは私の場合でも。ね。
 けれども、親先生があんなことを言うた、あんなことをしたということがです、ね、それに障るようなことであっては、もう、これは絶対本当なおかげ、合楽でのおかげになって来ないです。例えば、何と申しましょうか。ね。ほぐろでもえくぼに見えるようにならなきゃいけません。
 私はそこまで行かにゃつまらんと思うですね。まあ、先生はここはよかばってん、もう、ここがどんこん出けんもんねちいうんじゃなくてですね、もう、それこそどんこん出けんと人は言うけれども、それがかええって、愛敬になっとると、例えば言うなら言うてもいいじゃないでしょうかね。
 家の親先生は、そげん言うばってん、あそこが家の親先生のよかとこよと、例えば言えれる仲が生まれて来なきゃいけんのです。これも、んなら、皆さんから私という訳ではない、私から皆さんという場合だって同じことですよ。そこでね、そこで私は思うんですけれども。今日の御理解4節を頂いてです、そんなら、合楽でどういう信心が打ち立てられ、どういう信心を持って、私がおかげを受けて来たか、ということなんです。今日、御神前に出らせて頂いたらね、私(   )、あの、小学校の時に(しゅうしん?)というのがありましたね、あのしゅうしんの中に出ておった絵、しゅうしんだったと思うんですね。犬が魚を咥えて橋の上に立って、こうやって水の上ば見よる絵がついてました。あれを頂くんです。ね。
 土橋の上からこうやってして見たところが、やっぱ向こうにも同じ犬が魚を咥えておるのが映っておるもんですから、ね。それで、その自分の咥えておるのも忘れてね、それを、またもらおうと思うた。ワンと、ね。いわば、その、相手の魚を取ろうと思うた途端に、自分の持っておる魚までも落としてしもうたと言うのであります。私はね、合楽で一番有り難いということはね、私自身が、ね、私自身がいわば、今まで気が付かなかったおかげをおかげと気付いてきたということ。
 言うならば、頂いておるおかげを十分頂いておるということ。ね。人が羨ましいとか、はあ、あれをもらいたいちゅうな風じゃなくてです、ね、これはどういう難儀な、どういう修行の真っ最中でありましてもです、現在、私が頂いておるというおかげを十分に味おうたということです。いつまでおかげ頂っきりらんじゃろうか、と。もう、私だんはおかげ頂ききらんとかも知れん、と言うて自分の頂いておるおかげは棚に上げておいて、そして、まだ他に求めておる、望んでおるというようなことですから、人んとも取られなければ、おかげも頂けなければ、自分の頂いておるおかげも味わうことが出けんというのが、信心の薄い人の姿じゃなかろうかと思うです。
 考えてみなさい、ね、手も動きよるじゃないの、目も見えておるじゃないの。ね。雨露を凌がせて頂く家も頂いておる、着物も頂いておる。もう、言うならもう、おかげばっかりの中にあるて。たった一言だけ、貴方が病気をしとえるとすんなら、たったそれだけが、まだ成就してないというだけじゃないか、と。
 例えば、病気をしておると言うても、世の中には試薬修行と言うけれども、その中に胃が悪いとか、肺が悪いとかと言うて、たった一ところだけが悪いだけじゃないか。それに、その試薬修行、試薬(三つ?)というおかげのことは棚に上げておいて、たった一つのことだけを不平を言うて不足を言うて、そういうことでは、おかげにならん。頂いておるおかげの方が多い、その頂いておるおかげに対してです、もちっと神恩を感じなければいけん、有り難く思わなければいけんと私は言うわけ。
 また、私自身、そこを頂いて来たわけなのである。ですから、(合楽の御神縁?)を頂いたら、まず頂いておるおかげを認識すこと。ね。そして、もうおかげの方は御取次を頂いて、もう任せること。昨日の御理解じゃないけど、ね、親先生にもうお任せするということ。心配なことは親先生に任せて、そして、自分の頂いておるおかげを、あれもおかげ、これもおかげと事実わからせてもらう。そこから、神恩報謝の生活がだんだん出けて来るようになる。私は今日、そういうことだと、こう思うた。ね。
 合楽に御神縁を頂いておられて、例えば、そのような信心を段々させて頂いて、例えば、願いが成就するということではなくて、それこそ、願い以上の願いが成就するということは、これはもう、もう大地を叩くほど間違いないことです。これは私は、そのくらいに確信を持っとります。私が言う通りにしておかげを頂いて行くならね、もう、絶対です。ね。
 いわゆる、一つの願いが成就するというなものではなくて、いわゆる、夢にも思わなかった願い以上の願いが成就するおかげを受けるということがです、私は合楽の信心の、まあ、言うなら全てなのです。ね。皆さんが今願っておられることは、それはもう、その序の口なんです。信心を分からせて頂くことのための、ただ、一段階に過ぎないのです。
 これから皆さんの信心が段々なされて行くならば、それこそ、夢にも思わなかったようなおかげが展開して来ることを、私は確信する。ね。ですから、過去の一切が生きて来る。ね。過去にああいうことがなかったら、こんなこともあるまいのにと、これが普通の人でしょう。けれども、その、どういうことがと、そういう過去の全てがね、あのことのおかげでという風に生きて来る。
 そしてですね、これはもう絶対、(   )只今申しますように、夢にも思わんような開き方がして来るのが、私は合楽の信心だと思うです。ね。なら、そういうようなものを信じ、そういうものを頂かせてもらい、そういう信心が解らせて頂くとするとです、それは大坪聡一郎というよりも、親先生ということですね。ね。親先生のおかげで、このような素晴らしいことが解ったことになるのです。ね。
 そこで、なるほど親先生と、まさかの時には親先生と言えばおかげを授けてやるという、ね、もう、その手っ取り早い。親先生と皆さんと言うた方が、ね。教祖金光大神様と言うても、知らん方ばっかり。もちろん、二代様も同じこと。ね。三代様とて、私どもは例えば知っておると言うても、ね、もうお亡くなりになったことなのである。なら、現にあるのは親先生だけなんだ、皆さんのためには。ね。
 だから、親先生がそこまで高められる時にです、ね、親先生はそこに生神金光大神の働きをここに現すことが出けるのであります。どうぞ、私を拝んで下さいとか、私が金光大神よなどという意味じゃないですよ。今日はね、例えば親先生から、ね、天地金乃神様までの一つの関わり合いということをね、こう、聞いて頂いたわけです。ね。そこで、金光大神が言うことに背かぬよう、親先生が言うことに背かぬようという信心がなされて行く限りです、ね、夢にも思わなかったようなおかげが展開して来る。そういうおかげを願いとしての信心修行でなからなければならないわけですね。
 寒修行も、いよいよ日を追うにしたがって、こう、熱を加えて来たというか、ね、本当の寒修行らしい寒修行がだんだん出けて来るようになりました。せっかく、その修行をさせて頂くのでございますから。ね。一つ、本気で一つ取り組ませて頂かにゃけません。ちょうど、寒修行のはじまり、四日の夜でした。
 誰かお客さんがありましてね、その、少し夕食の時にお神酒がささったもんですから、私はもうこの頃、お神酒が頂いたら体がきつくなるんです。もう、どんこんされんごと、きつくなる、寝らにゃおられん。ですから、お神酒を頂いた時には、夜の御祈念をご無礼するんですよね。
 ほれで、そん時も、もう寝て覚えなかった。8時の御祈念に、もう、8時20分ぐらいまで休んどったようです。ところが、お夢の中にですね、あの、茶の間の横のテレビ室、あそこが一番、だいたいあの、暖、ストープ入れても温もらんとこですがね。あのテレビ室のガラスの方が開いて、ドアの方が両方ずつ、こんくらいばっかり開いとるところを頂いた、それはお夢にです。
 せっかく温もったつが、たったそれだけ空いた為に、抜けてしまいよるというお知らせなんですよ。ほれは、でも、本当にビックリしましてね、もう、飛び起きるようにしてから、ここへ出て参りましたら、まだちょうど、あちらで先生が御理解をしておられるところでした。
 それで私、そこへまた座らせて頂いてから、はあ、本当にその、例えば、寒修行だという修行中にですね、私が夜の御祈念にご無礼するようなことであってはね、たったそれだけのことだけれども。それは神様は認めてござるかも知れん。もう、酔うとるから、きつかから。けれども、せめて寒修行中ぐらいはです、例えば、飲んどったっちゃ、きつかったっちゃ、夜の御祈念ぐらい出て来んかと神様が仰っておられると思うて。たったそれだけのことでです、なら、このお広前いっぱいに有り難い雰囲気が生まれて来よるのがです、たったそれだけのことで、その気が抜けてしまうようなことであっては、惜しいことじゃないかと言われた気がいたしました。皆さんもせっかく、こうして寒修行を思い立っておられるのでございますからね。さあ、今日からです、ね、一つの本気でそういう隙を作らんで済むようなね、一つ修行をね、させて頂きたい。そして、修行の焦点は、修行の、先日の日に頂きましたように、ね、あの、(香炉?)の御理解でしたね。とにかく、中身も、ね、立派なら、その中身にです、本当に芳しいまでの香りがあっておらなければ、航路の値打ちはないということであった。
 と言うて、匂いだけしよりゃよかと言うて、茶碗にども香をたいたんじゃいかんということ。形と内容が伴うて行かなければいけない。ね。というようなことを、まあ、頂きましたその日の御理解をいっちょう思うてみて。あれは、この寒修行に対する一つの内容としなければならない、焦点にしなければならないところであったと思います。
 ですから、ね、あの、その後からお参りをしておる方は、一つその日の御理解をもう一遍頂き直して、ね、本気でこの寒修行が成就するようなおかげを頂きたいと思います。どうぞ。